わが街 探訪 葛城市議会議員
 吉 村 ゆ う こ
葛城市議会議員 吉村ゆうこ
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【 染 野 】 大字名の由来

この地はシメナワをはって染そめの野 悪病が入らないようにする神聖な標野、すなわち禁野でした。そこは染物に使うアカネ、ムラサキ、アイが生えていましたので、みだりに採らないように禁じていました。このため、禁野や染野と書いてシメと読ませていると伝えられています。

・石光寺【解説】
石光寺
石光寺
牡丹の名所
・大津皇子の墓【解説】
大津皇子の墓
・鳥谷口古墳
【解説】

鳥谷口古墳

・傘堂のセガキ【解説】
傘堂 傘堂の西に大池は豊かな水をたたえる 、おごそかに法要が始まった 並んで建つ墓碑は向かって右が「吉弘統家」、左は「藤懸玄達」 傘堂の軒裏に位牌を納める厨子が見える 傘堂絵図(部分)『西国三十三所名所図会』より

二上山の山麓一帯には、四つの古代寺院が点在しています。石光寺もその一つで、今から一三五〇年ほど前、都がまだ藤原京(現:橿原市、明日香村)にあったころに創られ、現在までその営みがつづく由緒あるお寺です。
石光寺 天智天皇の命令により、光る三つの石に仏像を彫刻しおまつりしたのがはじまりと伝えられています。実際、発掘調査によって日本最古級の石仏が境内から発見されていて、現在弥勒堂に安置されています。この時の調査で、石光寺は明日香地域の古代寺院にも負けない威容を誇ってたことがわかりました。昨年には七回目の発掘調査いがおこなわれ、かつてから言われていたとおり塔があったことが確認されました。(歴史博物館)

出典: 広報「かつらぎ」2009 5 Vol.56

裏向き不動明王
 役の行者が三十二歳の時に二上山に入り、現在、祐泉寺《ゆうせんじ》のある二本松の地に草案を結び、不動の滝で難行苦行の末、ついに大日如来を感得し、密印真言を授けられて神力自在の身となられた。それでみずから不動明王の像を石に刻み、滝のほとりに安置して滝の不動と称した。ところが、この不動尊の御霊力があまりに烈しく、人はその前を通ることができないで倒れ、あるいは転げ落ちるので、像を他に埋めて裏向きにしたので、いつの間にか裏向不動明王と呼ばれるようになった。今は、この近くに祐泉上人が永延二年に開いた祐泉寺がある。  (出典: 当麻村誌)

元和郷帳には「そめの村」、元禄郷帳には「染野村(しめの村)」とあり、地元では単にシメと発音する。慶長郷帳には幕府領、天和五年郡山藩領。延宝七年同藩の転封で幕府領に編入。天和二年近江水口藩領、元禄八年以降下野壬生藩領となる。



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