わが街 探訪 葛城市議会議員
 吉 村 ゆ う こ
葛城市議会議員 吉村ゆうこ
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【 西 辻 】 大字名の由来

忍海酪農の発祥地である西辻は、地内の中央を縦貫する高野街道(現:旧県道御所香芝線)の要所の辻の西側に集落が形成されたところから、地名になったと思われます。このことは「西ノ辻」という小字名があることや、集落の西端と接する大字林堂領の小字名が「辻ノ西口」となっていることからもわかります。

中世には、大和国を中心に村落全体を濠(堀)で囲んだ集落である環濠集落が造られましたが、西辻もその一つで、集落の北から西にかけての濠(現在は池になっています)が名残をとどめています。

江戸期初期には福島兵部領。寛永十年に旗本佐久間実勝領となり、その後の正保四年、旗本水野忠貞が五畿内・近江・丹波・播磨国奉行職となって大和国忍海郡西辻村・南花内村・脇田村・山口村。式上郡武蔵村・海智村で加増された際、同氏の領となり、明治維新に至った。この間、陣屋を当村に置いた。



農家酪農の代表的な地域 忍海酪農組合

奈良県における農家酪農の代表的な地域が、新庄の忍海地区である。忍海酪農組合の活動は、大正11年から始まる。当時の忍海村の村長であった辻本兵衛氏が、農業振興のため乳牛の飼育を進めたことを第一矢とする。辻本氏ほか6名の乳牛飼育農家は自ら搾乳し、その牛乳を小売する経営を考え、産業組合法に基づく忍海畜産組合を創立し、活動を開始した。 忍海酪農組合

以来、当組合は、牛乳処理場を2か所設置し、乳牛を飼育する傍ら、牛乳の小売りを自らの手で行ったのである。当初、その販売は困難をきわめたが、組合員の団結と努力によって発展し、昭和16年には、乳牛の飼育農家が約50戸に増えるまでになった。 忍海酪農組合

一時、太平洋戦争で、4戸の5頭まで減少するという苦しみを味わったが、戦後は再び復興に向かい、30年には飼育農家戸数は60戸ほどに増加した。この間、牛乳の販売は、組合経営による小売りをしてきたが、時代とともに、乳牛の飼育と小売が分離するようになり、長男が乳牛の飼育をし、小売りは次男、三男がするようになる。 忍海酪農組合 忍海酪農組合 忍海酪農組合

そして、昭和36年に、忍海酪農組合は、牛乳処理場と小売販売権を森永乳業会社に譲渡し、農家は乳牛飼育に専念することにした。 (投稿:milk・Y さん)


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