わが街 探訪 葛城市議会議員
 吉 村 ゆ う こ
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【 北道穂 】 大字名の由来

道穂の名は「ミツホ」として、室町時代に見られます。戦国時代には「布施郷方・・・見つほ領」とあり、当時は道穂が布施氏の支配下にあったことがわかります。 江戸時代になると、はじめ新庄藩領でしたが、天和2年(1682)の藩主桑山一尹の改易により幕府領に編入され明治維新にいたりました。

なお、「慶長郷帳」では「三坪」、「元和郷帳」では「ミツほ」、「寛文郷帳」では「道穂」とあり、「元禄郷帳」では「ミチホ」と訓じていることから、江戸時代に「三坪」から「道穂」に変遷したこと、「ミツほ」「ミチホ」と訓じていたことがわかります。

出典: 葛城市ホームページ

慶長郷帳には「三坪村」、元和郷帳には「ミツほ村」とあり、元禄郷帳には「ミチホ」と訓じている。  慶長六年、桑山一晴が新庄藩城下町取り立てのため当村と正道寺村を割いて、新庄村をつくった。天和二年の桑山一尹の改易にて、幕府領に編入された。のちに道穂村は北と南に村高を分け分村独立したらしい。。理由・年代は不明。



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