わが街 探訪 葛城市議会議員
 吉 村 ゆ う こ
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【 北花内 】 大字名の由来

花内のいわれは、宮内庁所管の「飯豊天皇埴口丘陵(いいとよてんのうはにくちのおかのみささぎ)」(前方後円墳)の「埴口」が、「花口」さらに「花内」に転訛したものと考えられています。

「花口」と記されているのは、「続日本紀」に、葛下郡の花口宮麻呂が私稲を投じて貧しい人たちを救ったとあり、「花内」と記されているのは、「金峯山免田田数注進状」にあります。

北花内と南花内の境界は、藤原京に都があったころ、葛下郡と葛上郡の間に新しく設けられた忍海郡との境界でもあります。

・飯豊天皇埴口丘陵【解説】
飯豊天皇埴口丘陵


・地蔵祭り【解説】
観音寺 地蔵堂。祠の前に提灯を飾り付けて華やかに   本堂の前庭いっぱいに広げられたゴザ 竹中住職による読経 子どもたちが入りきれないので、二重に並んで。「さあ、数珠繰りを始めましょう」 大きな声でお経を唱えながら数珠を回す。「オンカカサビサンマエイソワカ」 お供えのお下がりをもらったよ。何が入ってるのかな? 『花内の観音さま』の伝説

元禄年間の国郷帳では、花内に「ハノチ」に訓を付す。江戸初期、新庄藩領。桑山一尹の改易ののち幕府領となり、明治維新に至る。また江戸初期には花内村とのみみえるが、忍海郡の南花内村と区別するためか、北花内村とみえる。この間には、代官支配あるいは大名預かり地となっており、幕府領支配の構図が伺える。



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