わが街 探訪 葛城市議会議員
 吉 村 ゆ う こ
葛城市議会議員 吉村ゆうこ
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【 平 岡 】 大字名の由来

平岡はもともと極楽寺の門前町として発達した集落と考えられます。平岡山極楽寺は、寺伝によれば、奈良時代の高僧・行基(668〜749)が開基した寺の一つとなっています。もとは平岡山正念寺と称されていたようで、延久2年(1070)の「興福寺雑役免帳」に記されている「(忍海郡)極楽寺免田十町・・・」が極楽寺のことをさしているとすると、平安時代後期には正念寺を極楽寺に改めていたことになります。

境内には鎌倉〜南北朝時代の五輪塔や室町時代の名号碑などがあり、平岡をはじめ近隣14か村の郷墓があることでもよく知られています。

出典: 葛城市ホームページ


極楽寺(ごくらくじ)
宗派 浄土宗山号を平岡山と称する。僧行基の開基と伝えられている。
本尊阿弥陀如来三尊(坐像)

寺伝によると、行基菩薩の開基にかかるという。もとは真言宗であったらしい。延享五(1748)年の建立。元禄年間に(1688~1704)火災に遭遇。近年鐘楼改築に際し、応永元年五月吉日建立の旨を記した棟札が発見されたので、本堂もその頃の建築にかかると推測される。

境内には、鎌倉時代末期の五輪塔や室町期の名号碑などがある。

笛吹神社の北・大門ヶ谷の北側に平岡の集落がある。そしてこの周辺には、春光院・寿命院・称名院という地名がある。極楽寺を中心に大伽藍の寺院があったのであろう。僧行基が巡錫し各地にその事蹟を残しているが、ここ極楽寺はその内の随一といわれている名刹であったようである。

元禄郷帳には「タイノ岡」と訓じる。江戸時代初期は脇田村の内で、福島兵部領。寛永郷帳に初見。元和五年からこの頃までに独立分村した。承応二年郡山藩郭住本多政長領となる。寛文十一年政長が郡山藩主となり、延宝七年その国替えによって幕府領となったが、翌八年永井直円領となり、天和二年直円が新庄藩主となると新庄藩領となる。




梅の木坂@ 梅の木坂A 梅の木坂B
梅の木坂に梅の苗木を植える。@ 梅の木坂に梅の苗木を植える。A 梅の木坂に梅の苗木を植える。B 梅の木坂に梅の苗木を植える。C
梅の苗木を植樹 梅の木坂
3 月1 日、「梅の木坂」(南藤井)で地元関係者らが梅の苗木を植樹されました。
坂沿いには既に約40 本の梅の木が植えられており、以前から坂の入り口にも植えてほしいとの要望に、地元南藤井土地改良区および土地所有者が協力したことで実現しました。
森本区長(平岡)は、「坂を登って頂くと区民が協力して作った水車もありロケーションは最高です。是非お越しください。」
(広報「かつらぎ」平成21年4月号 vol.12)

県道寺口北花内線沿いで、間伐材を利用した看板が人目を引いています。平岡・山口・梅室区が協力し、「地域のシンボルになれば」と製作したものです。
また、平岡区では坂沿いに梅の木を35本植樹。菜の花畑もあり通行人の目を楽しませています。
(広報「かつらぎ」2005年5月 vol.8)



「梅の木坂」かいわいは奈良盆地との標高差が100メートル以上あり、大和三山をはじめ遠くは若草山も一望できる。とくに夜景がすばらしい、視野いっぱいに広がる光の海は圧巻です。
(投稿:H・M さん)



日の谷水車@ 日の谷水車A 日の谷水車B
「梅の木坂」の入り口からちょっときつい上り坂を700メートルほど行くと、道路の右下に水車がコトコト回っています。平岡地区の人たちが1年かがかりで手づくりしました。「のどかな農村風景に似合うものを・・・」と戦後しばらくまであった地区共用の精米用水車小屋を復活させることにしました。水車の直径は3.6メートル。谷川の水などを引き込んで回し、その回転力で小屋に3つの石臼を突く本格的なものです。
(投稿:S・Y さん)


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